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動画内で言っている小松氏の最多勝利数12勝は1981年までの最多勝利数の事で、現役全てで見ると17勝が自身最多の勝利数になります。またこの対戦では映像が途切れているのか、カウントの表示が間違っているのか分かりませんが1ストライクから対戦が始まっています。
原さんがショート守ってるところを初めて見ました。なかなか華麗なフィールディングですね。
原さんがショート守っているしパリーグベンチの顔ぶれももうヤバい選手ばかりで凄い映像です。
原さんは当初セカンドも守りましたしね。
原さんプロ1年目。サードは全盛期だった掛布さんに譲った形かな。
またまたレアな映像ですねー、ありがとうございます😊
先日知り合いと野球の話になり「中日の小松政夫は速かった」と何度も同じ話を聞かされた「辰雄だよ」って言えなかった俺。
言えよ笑
小松の親分さん
惨め、惨め〜
高校野球北信越大会で小松さんの投球を観ました。真上から投げ下ろすようなフォームでその豪速球に憧れ投球フォームを真似してた小学生時代の自分です。
小松さんは、この前年までが鬼ストレートですよ。この年は成績は良くなってるがなんか前年までの怖さがないんですよね。小松さんの名誉のためにもこの動画だけで、そんな凄さないやん!って思わないでください。
名古屋限定の150台連発だった記憶。この年は先発転向した年かな?
現代のスピードガンで何キロ出てるか知りたいね。
1979年が凄かったですよね投球フォームももっと豪快だった
小松自己最多の12勝?本人の名誉の為、あまり適当な事言わないできちんと修正するか動画消して 小松さんは最多勝のタイトル2回獲ってる名投手です
@@油ラー-r8j その時点で自己最多の12勝、間違ってない。
二人が共にチームメイトになろうとは、この時誰も想像しなかったろうね?!
166です
この時点で落合博満氏は、まだタイトルは全く獲得していなかったが、この年のオールスターのパ・リーグの監督は、故西本幸雄氏で、彼はこれからパ・リーグの中心選手となると見込んで4番打者に抜擢して、それが自信になってシーズンが終わると初タイトルの首位打者を獲得をされています。数年後のオールスターで西本幸雄氏が、放送席から落合に声をかけたところ、昭和56年❨1981❩に4番打者に抜擢してくれたことに対して、凄く感謝しているとお礼の弁を述べた事をよく覚えています。
山内監督と云う事は愛甲さんの話しだとミーティングで話が長い山内監督の前に座っていた張本選手がミーティング終わりに「それで何が言いたかったの?」と山内監督に言ったらしい
これは貴重な画像原がショートってのもいい
間違い無く当時のセ・リーグで最速の投手。同時代、常に江川の球速を上回っていたのが小松辰雄だった。本当、速かったよ!下手したら160km出してた時もあったかもしれない。その可能性があるとしたら、この人くらいしか思い当たらないや。
ファミスタでも小松は郭と槇原に並んで速かった。この頃の巨人のユニフォームが1番好き。HARAのロゴのデカさも可愛くて良い😊
まだ落合さんも黎明期といった感がありますね。
何かこの頃のオールスターはワクワクしたな。
おれがプロ野球を見るようになって最初にビックリした豪速球は阪急の山口高志。その次がこの小松辰雄!
山口→槙原→伊良部→→→何人か速いのいたけど→→大谷→朗希→藤浪。
昭和56年当時の落合博満はまだスリム。守備位置もセカンドだったし。
嫁さんと付き合う様になって増量したんだよ。少しポチャっとしてる人の方が、やっぱり遠くに球を飛ばすよね!と言われて(これだ!と思い立ち)増量に着手したんだってよ。
小松が速かったのは1979年で、円山球場での試合で肘を壊して以来、本気で投げていない。その後、コントロールの矯正も兼ねてノーワインドアップで投げるようになった。速かったのはワインドアップで投げていた頃で、小松の球が速いからスピード違反取り締まりのオービスで測ってみようということになったので、スピードガンの申し子と言われた。
落合のスイングの速さよ
稲尾和久,落合博満 権藤博,小松辰雄
スピードガン表示では小松や鈴木孝政の方が早い数値が出ていたが(槇原はもうちょっと後の時代)落合が「江川が一番早かった(落合は槙原とも対戦している」と言うのだから、やっぱり江川が一番早かったんだろうな。江川の試合は2時間かからない試合とか、ザラにあったもの。
原氏はサードよりショートの方が向いてそうだ
ショートは難しいんだぞ。篠塚ならともかく原では無理。
小松が最も速かったのは、リリーフ投手してて肘ヤルまで。1978~80年頃。
山口高志の75年と同じ 小松がもっとも速かったのは79年ですね
鈴木孝政も同じ頃?@@AI-wg2lb
球速が150㌔って聞いて凄いなーって思ったよね あの頃
神宮球場かなぁ?ショートが原さんってのがびっくり‼️😮
あっ。山内さんだ。
この動画のポイントの1つは、同じ試合で、小松投手との対戦の前に江川投手と対戦していること。江川投手との対戦のときは素人目にも力んでいるように見えたけど、その対戦のあとに小松投手のストレートをどう見たのか、興味深いですね。
小松辰雄さんは、江川さんの速球は回転がいい、この2年後にデビューした槙原寛己さんの速球については江川さんほどじゃ無いと言ってたらしいです。見る人によって基準が違うのかも知れませんね。
ショート辰徳じゃん😅そっちがレアだわ😅
見ていて違和感ないかも
サードは掛布だったんでしょうね。昔はサードに花形スターが何人かいましたからね。パリーグもロッテの有藤がオールスターではショート守ったりしてますよね。
のちにこのふたりが中日でやるんだよな仲悪いときいてますが
81年ってまだ落合は三冠王すらとってないチョロチョロレベル。
リリーフやり始めたころが、いちばん速かったよな。いま思えば藤川球児のようなストレートだった
そう言えば、この頃原と掛布は二人ともサードなので、どちらかがショートだったな。という事はセカンドは岡田か篠塚?
スピードガンの申し子の肝心の球速が全く出てこないのだけど
シュート回転だね〜😊
私がスピードガンで150キロを見たのは小松が最初だ。あの当時のスピードガンでだから今のスピードガンなら170近いのではないか。
星野監督はほとんどトレードだしたが、小松さんだけは絶対に優勝に必要だから出さなかった。
まだ、三冠王をとる前の落合ですね。
江川さんより重いストレス言われていたよ小松さんはよくバットを折っていたよ!高めストレートは速いですよ
下手したらトレード相手だった2人⚾️
同じスピードガンで江川より5km/hは速かった小松。
やっぱりスポーツは進化してるのがわかる映像だね
当たり前
原がショート守ってんだ
この頃には小松のスピードは落ちていた。
後々の打法と違い、アウトステップしてないし近めに来た球に体幹の位置をそのままで打ちに行ってるから差し込まれてショートゴロになったように見える。
ショート原辰徳
小松は球速はかなり速い、綺麗な縦回転の球筋ではないため速く見えない。槙原の初期もそんなタイプだった。
この頃の落合って、高めが苦手だったのかなぁ?それとも初見の投手は球筋を見極めないと打てないのかな?もしくはシュート回転していたから初めて見る球筋なのでヒットにできなかったのかも。あるいは、それほどオープンに開いてない上に右に飛んでないのは、思ったほど速くなかったのかも。ここは落合御本人の解説を聞いてみたいものですね。14秒あたりの落合の握り方を見ると、左右の第二関節を合わせてますね。これがスインガーの特徴です。こうした方がバットを返しやすく、また駒田選手は神主のように左右の甲が身体の正面に向くように握ってるよう見えますね。
この時の落合さんのフォームはステップが真っすぐ置くし狭いし身体の上下の動きも無くて進化前だな原辰徳のフォームに似てるかも
小松さんの店でご本人がオッチの事ボロクソに言ってましたよ。名古屋に馴染まない、元々のスポンサーを切る、元来あった名古屋(中日)の仕組み(OBの再就職)ルートも全部ぐちゃぐちゃにして東京に帰ったと煽りを食らった今の60半ばから50代のOBはかなり根に持ってるみたいですね。
再就職て単なる天下りやん草
落、足はえー。
この映像からみると、小松も速くないし、落合もたいしたことないとわかる昭和の古い野球
確かに今日の鈴木誠也の満塁ホームランの打席見て、相手ピッチャーも鈴木誠也も凄すぎる。
思ったほど大したストレートじゃないな。伸びも球速も。150すらあやしい
私は趣味で80年代のプロ野球映像資料を視ていますけど、いろいろな動画の内容を総合すると、この前年、1980年シーズンのリリーフ專門だった年が最も良いストレートを投げていたようです。先発ローテに入るようになった動画にある1981年シーズンは、もしかしたら、前年フル稼働の疲れが残っていたか、あるいは配置転換により力加減の仕方を習得中だったのかもしれません。
@@tohi.kagara5731 なるほど、探してみます。ありがとうございました!
@@tohi.kagara5731そうゆうことでしたか。ありがとうございます!さがしてみます
そうゆうことでしたか。さがしてみます。ありがとうございます!
動画内で言っている小松氏の最多勝利数12勝は1981年までの最多勝利数の事で、現役全てで見ると17勝が自身最多の勝利数になります。またこの対戦では映像が途切れているのか、カウントの表示が間違っているのか分かりませんが1ストライクから対戦が始まっています。
原さんがショート守ってるところを初めて見ました。
なかなか華麗なフィールディングですね。
原さんがショート守っているし
パリーグベンチの顔ぶれももう
ヤバい選手ばかりで凄い映像です。
原さんは当初セカンドも守りましたしね。
原さんプロ1年目。サードは全盛期だった掛布さんに譲った形かな。
またまたレアな映像ですねー、ありがとうございます😊
先日知り合いと野球の話になり
「中日の小松政夫は速かった」と
何度も同じ話を聞かされた
「辰雄だよ」って言えなかった俺。
言えよ笑
小松の親分さん
惨め、惨め〜
高校野球北信越大会で小松さんの投球を観ました。真上から投げ下ろすようなフォームでその豪速球に憧れ投球フォームを真似してた小学生時代の自分です。
小松さんは、この前年までが
鬼ストレートですよ。
この年は成績は良くなってるが
なんか前年までの怖さがないんですよね。
小松さんの名誉のためにも
この動画だけで、
そんな凄さないやん!って思わないで
ください。
名古屋限定の150台連発だった記憶。
この年は先発転向した年かな?
現代のスピードガンで何キロ出てるか知りたいね。
1979年が凄かったですよね
投球フォームももっと豪快だった
小松自己最多の12勝?
本人の名誉の為、あまり適当な事言わないで
きちんと修正するか動画消して
小松さんは最多勝のタイトル2回獲ってる名投手です
@@油ラー-r8j
その時点で自己最多の12勝、間違ってない。
二人が共にチームメイトになろうとは、この時誰も想像しなかったろうね?!
166です
この時点で落合博満氏は、まだタイトルは全く獲得していなかったが、この年のオールスターのパ・リーグの監督は、故西本幸雄氏で、彼はこれからパ・リーグの中心選手となると見込んで4番打者に抜擢して、それが自信になってシーズンが終わると初タイトルの首位打者を獲得をされています。
数年後のオールスターで西本幸雄氏が、放送席から落合に声をかけたところ、昭和56年❨1981❩に4番打者に抜擢してくれたことに対して、凄く感謝しているとお礼の弁を述べた事をよく覚えています。
山内監督と云う事は愛甲さんの話しだとミーティングで話が長い山内監督の前に座っていた張本選手がミーティング終わりに「それで何が言いたかったの?」と山内監督に言ったらしい
これは貴重な画像
原がショートってのもいい
間違い無く
当時のセ・リーグで最速の投手。
同時代、常に江川の球速を上回っていたのが小松辰雄だった。本当、速かったよ!
下手したら160km出してた時もあったかもしれない。その可能性があるとしたら、この人くらいしか思い当たらないや。
ファミスタでも小松は郭と槇原に並んで速かった。
この頃の巨人のユニフォームが1番好き。
HARAのロゴのデカさも可愛くて良い😊
まだ落合さんも黎明期といった感がありますね。
何かこの頃のオールスターはワクワクしたな。
おれがプロ野球を見るようになって最初にビックリした豪速球は阪急の山口高志。
その次がこの小松辰雄!
山口→槙原→伊良部→→→何人か速いのいたけど→→
大谷→朗希→藤浪。
昭和56年当時の落合博満はまだスリム。守備位置もセカンドだったし。
嫁さんと付き合う様になって増量したんだよ。少しポチャっとしてる人の方が、やっぱり遠くに球を飛ばすよね!と言われて(これだ!と思い立ち)増量に着手したんだってよ。
小松が速かったのは1979年で、円山球場での試合で肘を壊して以来、本気で投げていない。その後、コントロールの矯正も兼ねてノーワインドアップで投げるようになった。速かったのはワインドアップで投げていた頃で、小松の球が速いからスピード違反取り締まりのオービスで測ってみようということになったので、スピードガンの申し子と言われた。
落合のスイングの速さよ
稲尾和久,落合博満 権藤博,小松辰雄
スピードガン表示では小松や鈴木孝政の方が早い数値が出ていたが(槇原はもうちょっと後の時代)落合が「江川が一番早かった(落合は槙原とも対戦している」と言うのだから、やっぱり江川が一番早かったんだろうな。江川の試合は2時間かからない試合とか、ザラにあったもの。
原氏はサードよりショートの方が向いてそうだ
ショートは難しいんだぞ。篠塚ならともかく原では無理。
小松が最も速かったのは、リリーフ投手してて肘ヤルまで。1978~80年頃。
山口高志の75年と同じ 小松がもっとも速かったのは79年ですね
鈴木孝政も同じ頃?@@AI-wg2lb
球速が150㌔って聞いて凄いなーって思ったよね あの頃
神宮球場かなぁ?
ショートが原さんってのがびっくり‼️😮
あっ。山内さんだ。
この動画のポイントの1つは、同じ試合で、小松投手との対戦の前に江川投手と対戦していること。
江川投手との対戦のときは素人目にも力んでいるように見えたけど、その対戦のあとに小松投手のストレートをどう見たのか、興味深いですね。
小松辰雄さんは、江川さんの速球は回転がいい、この2年後にデビューした槙原寛己さんの速球については江川さんほどじゃ無いと言ってたらしいです。見る人によって基準が違うのかも知れませんね。
ショート辰徳じゃん😅
そっちがレアだわ😅
見ていて違和感ないかも
サードは掛布だったんでしょうね。昔はサードに花形スターが何人かいましたからね。パリーグもロッテの有藤がオールスターではショート守ったりしてますよね。
のちにこのふたりが中日でやるんだよな
仲悪いときいてますが
81年ってまだ落合は三冠王すらとってないチョロチョロレベル。
リリーフやり始めたころが、いちばん速かったよな。いま思えば藤川球児のようなストレートだった
そう言えば、この頃原と掛布は二人ともサードなので、どちらかがショートだったな。
という事はセカンドは岡田か篠塚?
スピードガンの申し子の肝心の球速が全く出てこないのだけど
シュート回転だね〜😊
私がスピードガンで150キロを見たのは小松が最初だ。あの当時のスピードガンでだから今のスピードガンなら170近いのではないか。
星野監督はほとんどトレードだしたが、小松さんだけは絶対に優勝に必要だから出さなかった。
まだ、三冠王をとる前の落合ですね。
江川さんより
重いストレス言われていたよ
小松さんは
よくバットを折っていたよ!
高めストレートは速いですよ
下手したらトレード相手だった2人⚾️
同じスピードガンで江川より5km/hは速かった小松。
やっぱりスポーツは進化してるのがわかる映像だね
当たり前
原がショート守ってんだ
この頃には小松のスピードは落ちていた。
後々の打法と違い、アウトステップしてないし近めに来た球に体幹の位置をそのままで打ちに行ってるから差し込まれてショートゴロになったように見える。
ショート原辰徳
小松は球速はかなり速い、綺麗な縦回転の球筋ではないため速く見えない。槙原の初期もそんなタイプだった。
この頃の落合って、高めが苦手だったのかなぁ?
それとも初見の投手は球筋を見極めないと打てないのかな?
もしくはシュート回転していたから初めて見る球筋なのでヒットにできなかったのかも。
あるいは、それほどオープンに開いてない上に右に飛んでないのは、思ったほど速くなかったのかも。
ここは落合御本人の解説を聞いてみたいものですね。
14秒あたりの落合の握り方を見ると、左右の第二関節を合わせてますね。これがスインガーの特徴です。こうした方がバットを返しやすく、また駒田選手は神主のように左右の甲が身体の正面に向くように握ってるよう見えますね。
この時の落合さんのフォームはステップが真っすぐ置くし狭いし
身体の上下の動きも無くて進化前だな
原辰徳のフォームに似てるかも
小松さんの店でご本人がオッチの事ボロクソに言ってましたよ。名古屋に馴染まない、元々のスポンサーを切る、元来あった名古屋(中日)の仕組み(OBの再就職)ルートも全部ぐちゃぐちゃにして東京に帰ったと煽りを食らった今の60半ばから50代のOBはかなり根に持ってるみたいですね。
再就職て単なる天下りやん草
落、足はえー。
この映像からみると、小松も速くないし、落合もたいしたことないとわかる昭和の古い野球
確かに今日の鈴木誠也の満塁ホームランの打席見て、相手ピッチャーも鈴木誠也も凄すぎる。
思ったほど大したストレートじゃないな。伸びも球速も。150すらあやしい
私は趣味で80年代のプロ野球映像資料を視ていますけど、いろいろな動画の内容を総合すると、この前年、1980年シーズンのリリーフ專門だった年が最も良いストレートを投げていたようです。
先発ローテに入るようになった動画にある1981年シーズンは、もしかしたら、前年フル稼働の疲れが残っていたか、あるいは配置転換により力加減の仕方を習得中だったのかもしれません。
@@tohi.kagara5731 なるほど、探してみます。ありがとうございました!
@@tohi.kagara5731そうゆうことでしたか。ありがとうございます!さがしてみます
そうゆうことでしたか。さがしてみます。ありがとうございます!